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山根康児「夢」 『NRCドリーム』 第2回「自分探しと心の緑化―はじまりは四天王寺計画―」

 

 ・山根康児インタビュー記事

   話し手:NRC自然療法研究所 所長 山根康児          聞き手:ライター おたまじゃくし


◆第2回 「自分探しと心の緑化―はじまりは四天王寺計画―」 
 (平成24年6月11日掲載)

 

就職氷河期といわれて長いですが、「自分が何をしたいのか」がわからない時代にもなってきている感じがします。
山根さんご自身は「就職」ってどうとらえていましたか?

まず、「就活」というのが普通の人よりもしていないと思います。
大学から大学院に入るとき、大学院に行くと決めていたのですけど、万一のため、会社を二つだけ受けたのです。
当たり前ですけど、その二つとも「ここなら入ってもいい」と思えるところでした。
それが、給料がいいとか、近くだからとかというのはぜんぜん関係なく、その当時、最大に自分に興味がある研究をしていたから・・・ひとえにそこだけで受験しました(笑)。

 

結果はいかがでしたか?

その就活時代に、ひとつは2次面接で落ちたにもかかわらず、社長さんに自分の想いを伝えました。
そうしたら、「では社に来なさい」と合格の電話をいただいたのですが、やはりその時は砂漠緑化の夢が勝っていたので、大学の研究室の電話でお断りしました(笑)
もちろん、その場にいた先輩たちから「バカ野郎ー!内定をもらっておきながら、こんな電話で断るのか!」と、みんなに怒られたのですけど(笑)。 結局大学院に残って砂漠緑化の夢を追いかけました。

 

当時(1990年初頭)はバブル崩壊後の就職氷河期第一期生だったと思います。

はい、前年の先輩とは大違いで。 いきなりの超就職氷河期に入ったところで、ほとんどの人が公務員以外に就職できない時代でしたね。
でも、やはり就職、つまり、誰かのところに入って仕事をするにしても、自分が思っていることをできるところがいいだろう、というのはありました。
今思うと純粋すぎて馬鹿みたいな感じもするのですが、その当時、自分が思っている最高のことができないと、あるいは夢と同じ方向に向いていないといけない、と思っていたのです。
逆にそれができるのなら、遠くても、給料が安くてもいい。 一般の面接で採ってもらえなくても、直に社長に会うか手紙を書くぐらいの行動はしていたので、やはり自分の想いは伝えなきゃ、というのはあります。

 

実際、サラリーマンのご経験は?

大学院を出てからは、3つ目となる就活で、世間からいうとちょっと変わった会社へ入社して、委嘱状もちゃんともらって採用されました。 そこでは、健康コンサルティング業務に携わりました。
サラリーマンは一応、こんなわたくしでも勤まったのでございます(笑)。
でも会社の都合もあり、2年間しかいなかったのですが、やめるきっかけにもなって、それと同時に「独立をする」とパッと決めたのです。

 

あまりにも潔い。

今思えば。 大阪勤務だったのがすべて東京召し上げになって、東京へ行ってもいいし、行かない場合は退職するという選択がありました。 会社が現状のままならば、会社にいて自分のもっている夢とすりあわせをしていったと思うのです。 その時に不安がなかったわけじゃないのですけど、どういうわけか4月には会社をやめて、屋号を作って、会社には「独立をさせてください」と言って。 今思えば、無謀だったと思うのですけどね。

 

のれんわけでもなく?

仕事がまるまるもらえるわけでもなく、ほんとに自力でやっていかなきゃならない状態で、今になってよく言えたなと。 ま、ちょっと世間知らずなところがあったのかもしれないです。 生活きりつめて、食事は自分で作るの好きだったし、なんとか生活できていたのですよね。

 

そしてNRC自然療法研究所がスタートする。

屋号を「NRC自然療法研究所」ナチュロパシーリサーチセンターを略してNRCとして、ひとりで活動をしながらも、会社をやめる少し前から、ふと、こういうものを作りたいなと思いあたりました。
それが「四天王寺計画」というもの。
NRC自然療法研究所というものが十数年前に産声をあげる背景には、この「四天王寺計画」がブループリントとしてあります。

 

四天王寺というと聖徳太子。 いわゆる「四箇院の制」といわれる施薬院・敬田院・療病院・悲田院を作り、今に続いていますね。

子どもの頃から聖徳太子のファンでした。
ちょうど、サラリーマン時代の事務所が大阪の日本橋、四天王寺さんから近いこともあり、四天王寺さんにはちょこちょこ出入りしていたのです。 早朝座禅会のお誘いがあると「はい、行きます」とふたつ返事で。 いろいろなご縁をいただきながら、なにかと行くことがありました。 子どもの頃には「お札にもなっていてすごい!」という頭の中だけのものだったのが、どんどん現実的なイメージの人物として、「聖徳太子はすごいな!」って。
いろいろ調べていくうちに、理論的にも4つのセンターを作っていた。 その中身をよくみると、今で言うところの医療法人、宗教法人、福祉法人だったり、あるいは農業組合法人みたいなセンターをそれぞれに機能させつつも、地域のためにうまく連携させていた。 「あ、面白いな」というところにいきつきました。

 

21世紀版、四天王寺をつくろうと思った。

四天王寺計画の4つの部分というのは、就職してからより現実味を帯びてきました。
4つのセクションを小さいながらも作りたいな、と憧れて。
とはいっても、やはり2年間勤めていた会社をはなれて、フリーになる時に経済的にも大丈夫なのかなというときに、自主サークルでたまたま出会った人がいました。
今や14年目の付き合いになりますが、弊所の加納くんです。

 

この出会いは大きかった。

加納くんは心理学の勉強をしていました。 私も心以外の分野、食べ物による体の健康コンサルタントの仕事をしていました。 その流れもくみながら、ハーブとか、小さいながらも四天王寺計画を徐々に温めていたときだったので、彼と協力したら面白いことができるかもしれないと思い、四天王寺計画の第一弾を一気に加納くんに話したのです。 そうしたら、息が合った!
以来、休戦日なしの切磋琢磨の日々です(笑)。

 

4つのセクションの構想はどうすすめていったのですか?

宗教的なことは何だろう?医療的なことは何だろう?施薬院だから、薬を作るとは何だろう?と考えました。
その当時、大阪府豊中市に住んでいたのですが、狭いテラスのプランターにハーブを植えて「これが薬草園」、と小さいながらも核を作った。 実はそこからハーブ療法の芽が出たのです。
子どもの頃からおばあちゃんの畑でいろんな手伝いはしていたけど、それは手伝っただけ。 自分の四天王計画の中で四天王寺の「施薬院」をイメージして、そこで栽培したハーブを生かして使うという発想は、そのときがはじめてです。
「自分を癒すものは自分が作る」という自主性が出てきた。
それから、宗教的なものは?となると、その2年間のサラリーマン生活の後にすぐ、神職の資格をとりにいきました。
心の拠り所としての宗教というのが、今でも四天王寺さんとして残っている。 それは仏教ですけども、日本人の心の拠り所として「信仰」とは何だろう、日本人だったら「神道」もあるかなという想いもありました。 いろいろなご縁もあり、大阪天満宮さんの宮司さんの推薦をいただき、兵庫県神社庁の湊川神社の研修所でみっちり勉強をして、神道の道をつけました。
今思えば、無茶したなとか、子どもっぽいなというようなものだけど、結晶は最初にどんな小さくとも核がないと結晶ができないように、ミニチュアみたいな核を4つを揃えてみた。 ままごとみたいだけど、そこから徐々にハーブを扱っているのが教える話になり、ハーブ療法セミナーになっていき、食の大切さというものがセミナーになり、料理の実践がついて料理教室へと発展していきました。
おそらく、自分でハーブを育てて、それを使うことをしていなかったら、その道を歩めていなかったかもしれない。

 

四天王寺計画はNRC自然療法研究所の中でどんどん具現化していきます。
そこはどういう「場」になるのでしょう。

本来、自然崇拝と先祖崇拝がうまく組み合わさり、日本の農業として循環ができていた。 それが少し崩れてきたときに、聖徳太子がよりシステマチックに作ってくれたものが今もずっとシステムとして残っている。
今の時代になって私もそれに触発されて、かえりついたところが結局は、本来あった自然崇拝、先祖崇拝が農業や地域とうまく結びついて、無限に循環していくというもの。
今思うに、四天王寺計画というのは聖徳太子の中の「聖地」をつくったのだろうなと。
お伊勢さんも「聖地」ですが、同じように私も一緒にやっている加納くんも、自分たちがエネルギー、力、想いをこめていけば、きっとそこも人がつくりあげていく「聖地」ができるじゃないかなと。 そういう意味で、いろんなところを聖地にしていけば護られていく、そこには想いがこもるから侵されない。

 

砂漠緑化への想いがここにも根付いていますね。

今の時代、大切な想いがぬけてしまうからすぐに乱開発をして、代々受け継いできたものをすぐにお金に変えて処理をする、ということになってしまう。
その想いがうまく現実のものにつながっていないから無駄なエネルギーだけが余って、世間が空回りしているんじゃないのかなと思うことはありますね。
よりよく豊かに生きていくために、そそぎこむべき安心できるものがあったほうがいいと思います。 そのひとつが今私が考えている「聖地」、四天王寺計画のようなもの。
だから今は続行中です。 少しずつ変容しながら、ずっと幼い頃からの想いや願いはつながっていますね。

 

世の中にとって山根さんはどういう存在でありたいですか?

そういう意味では次の世代に何かをひきつぐパイプ役だということは自覚しています。
それは砂漠緑化研究の時に自覚があったように、絶対、一代で自分の力だけでは一エリアしか埋まらないので、誰かにその仕事を引き継いでいくという、気の長いスパンをもう二十歳の頃にはもっていました。
自分はある時代、ある地域に生きる橋渡しだとすると、できることはなるべく最大限におさめておきたい。 自分の持分は最大限におさめておきたい。
そうすれば、よく生きたら、誰か見習う人もいるかもしれないし、生き方が悪ければそれは捨て去られるだろう。 捨て去られないためにはよく生きればいい。 じゃ、魅力的に愉しく生きることが自分の使命だと思う。
だから頑固に、時には自分を試すようなことをして、思ったことは貫いて生きていきたい。

いつも思うのは、今があるのはひとつ前の世代、さらにもうひとつ前の世代、あるいはいろんな地域にそういうパイプはあったと思うのです。
今の時代、ここにいるのは「自分」というパイプだと思うので、何かを伝えていくということは、自分の使命のひとつだろうなと。
ご縁でいろいろなものを教えていただき、学ぶ機会がありますが、それをもう一回統合する、それもひとつの使命じゃないかな。  それがシンボル的には錬金術師(笑)。
いろいろとバラバラになったものを形ある智恵として復活させる。 「天と地がつながっているよ」とか「ひとりじゃなくて、いろんなものとつながっていて、影響をあたえるけど、あたえられる」とか。 つまり、お互いさま。  だから自分がよく動けば相手もよく動く、通じると思う。

 

どう生きるか、自分をどう生かすか。 今一度それぞれに問う時期なのかもしれないですね。

自分の「ここだけは守らなければいけない」ものは貫いてもらいたい。 たとえば、それがすぐに「職」として見つからなくても、やっぱり最終的にはそこをめざして、探す努力を惜しまないほうがいいと思う。
現に就職ではないけれど、「砂漠の緑化」をしたいと思って、現地の砂漠へ指導に行けるまでに、実は10年かかっています。
10年かかって、ものごとがかなうことを経験しているので、仕事を選ぶというときには、「自分がほんとに何をしたいのか」というものを持って、そことすり合わせをします。
もちろん、事情が許さないとか、いろんな現状があるかもしれない。 けれど、それは「自分を生かす」ということにもつながっていくと私は思います。

 

では「自分を生かすため」にご自身がしてきたことは?

よからぬ好奇心で、あれに手をつけこれも手をつけ(笑)。
いろいろなことをやって、自分の適性というか、いろんなことをやりっぱなしにして、飽きっぽいというのも自分でもよくわかってくるんです。
実のところ自分という人間は飽きっぽいなと(苦笑)。
今だったらほんとはやりなおせば深い世界だったと気付くのですが、小学校の頃から、いろいろな楽器も試してはやめたり。 それから、中学生の時かな、国会の速記。 あれを習おうと思って早稲田速記もやったけど、それが途中で適さないとか飽きたりとかで。
いろいろな通信講座も学生の頃からちょこちょこやっていたのです。
そうしながら、あれはやる、これはやらなくなる。 やっていると愉しいけど、続かないものもある。 そういう意味では、今になって思うと、自分探しを小学生の頃からしていたのです。

 

親御さん大変だったでしょう・・・

親はいつも「飽き症だ!ぜんぜん続かない!」と怒っていました。
やりたいことがあったら「やめなさい」とは言わなくて、やらせてはくれるけど、「やり続けなさい」と言う親でした。
やらなくなるのは、次にほかにやりたいことをみつけちゃったりするのですね。
そうすると自分の場合、不思議なものは好きだし、それから、一見ありふれたものでも深いものは絶対追求するというのがうすうすわかってくる。 そういうものは続けられているということが、学生の途中ではわかっていたので、そこからは考えてものごと選ぶようになっていきました。
それがたぶん、自分探し、自分がしたいことを見つけて生かしていく。
今の時代は絞るのがかわいそうなぐらい、ものすごく情報があふれているけど、逆になんでもできる。 すっごいチャンスの時代。
だから、試したらいいと思います。 お金や時間の許す範囲で、ぶつかってみること。 そうすると、自分に合う合わないは、その時にその環境でわかる。 ヒットすればいいし、あとになって考えてやりなおしてみればいい。
まず、やってみないと自分がわからないと思います。 とくに自分がそうだったのでね(笑)

 

 ・山根康児インタビュー記事

 

 


 
 
 

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