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山根康児「夢」 『NRCドリーム』 第4回「わたしの心の緑化
―エジプトは人生のターニングポイント―」

 

 ・山根康児インタビュー記事

   話し手:NRC自然療法研究所 所長 山根康児          聞き手:ライター おたまじゃくし


◆第4回 「わたしの心の緑化
 ―エジプトは人生のターニングポイント―」 
(平成24年8月1日掲載)

 

年々、暑さ厳しい日本の夏ですが、すでに灼熱の夏はご経験済みだとか…。

今から17年前、初めての海外が8月のエジプトでした。
憧れだった砂漠緑化。 その一環で農業技術指導員として派遣され、2ヶ月間現地での指導に携わりました。
エジプトカイロ空港に降り立った瞬間、「何?!この経験したことのない暑さ!!」と思いましたね。
はるかに自分の体温より高く、足元が熱い。

 

初海外が、よりによって真夏のエジプト!!

大学院に入ってすぐの6月ぐらいかな、先生が「エジプトに行かないか」と話を持ってきて。 私は院に入ったばかりで、研究室にいる他の人に指名があってもよさそうなものでした。
しかし、私が扱うテーマは「小麦」。
小麦は冬に種を撒いて7月頃にはもう収穫が終わっていたので、そのタイミングを見計らったかのように、エジプトでの研究依頼がきたのです。
ほとんどの人が春から秋にかけての作物を担当していたため、他の人は手が離せなくて。 たとえばメロンは、5、6月頃が最盛期。 植物は生き物で手が離せないから、先輩たちは上から順番に「エジプトへは行けません、行けません、行けません…」となって。
たまたま私だけが手があいていて、論文の準備をするくらいの忙しさだったため、先生に「山根、あいているなら行ってこい」と、その権利が入ったばかりの一年生の自分にふってきて「はい。行きます」となりました。

 

憧れだった砂漠緑化の活動にいきなり行けるなんて、ラッキーでしたね。

「大学では遺伝子の品種の勉強しておきなさい」という先生の勧めがあり、進んだ研究室ではたまたま小麦の遺伝子を分析するというのがテーマでした。
専門で小麦をやり、このテーマを持って砂漠緑化の研究ができればいいなと始めていたところに、たまたま依頼がきました。

 

なぜに小麦なのでしょう? 鳥取なら小麦というよりは別の作物を思い出しますが。

まず日本で小麦といえば北海道。
小麦の花が咲くのが、だいたい5月のゴールデンウィーク前後。 それから実がなっていくので収穫の頃に雨が降るといけないから、その頃に梅雨入りする本州での栽培は本来難しい。
だから北海道で小麦なのです。
であれば北海道ですればいいのですが、農水省の遺伝子研究の人員バンクの振り分けがあり、小麦関係の担当は鳥取大学農学部の遺伝子研究室が行うことになっていました。
国との連携で、貴重な珍しい遺伝子を持った小麦を栽培し、その中からいろいろな遺伝子を出してきて検査をするという研究機関でした。
だから、もともと気候には適さない小麦を研究できたのも、今思うとめぐり合わせかなぁと。

それに、小麦といえば、ビール。 ビール発祥の地もエジプトですしね(笑)
古代エジプトでは、小麦はオシリス(古代エジプト神話に登場する男神であり、女神イシスによって復活する)。 だから、「ビールはオシリスの体液!これぞ復活!!」なんて象徴的な見解は後で知るのですけどね(笑)

 

とにもかくにも灼熱のエジプトでの2ヶ月間の滞在。  お腹こわしませんでしたか?

8月、9月のエジプトでしたからね。
よくある話のひとつで、お守りのように正露丸を持っていきました。
2、3日たっても何ともなく、1週間たっても何ともなくて、意外と自分は胃は強いかな?と思いました。
1ヶ月が過ぎた頃のある日のお昼、現地スタッフがいつも用意してくれるウォーターピッチャーから水をついだとき、不思議なことにグラスの中に緑色の糸のようなものが、プルプルプル~とまわっていました。
いつもはそのようなものは入っていないのに今日はなんだろう?と思い、お給仕してくれるメイドさんに「これ、なに?」と聞くと、「わからない」と答える。
では「この水はどこからきたの?」と聞いたら、遠くを指さしまして、それは遠くナイル川の方向・・・(笑)

 

え! 飲料水はミネラルウォーターではなかった?

つまり、地元の人がいつも使っているナイル川の生活水を、今日の今日まで飲ましてくれたみたいで。
自分は知らないで1ヶ月間飲んでいたみたいでしたが、その日の夜に急に、おなかを壊しました。
それまで、体は受け付けていたけれど、事実を知ってしまったその日の夕方に体調を崩し、そこで「病は気から」というのを体験しました。
さぁ、それからが大変で、正露丸は症状に合わず、なんとか薬局を探し当てて、これが効く!という錠剤をとりあえず1錠だけ飲んだら、まぁ、みごとにピタ!と止まりました。
あぁ、「郷に入れば郷に従え」ということもそこで学び、教訓を得ましたね(笑)。

 

今でこそ水は日本でもたくさん販売されていますが、当時、日本人にとっては水を買うという習慣はさほどなく、海外へ出て、水を買うことを改めて知るという感じですものね。

そうですね。
金曜日がイスラム礼拝の日なので、金曜に休みがもらえました。
カイロ市内に遊びにでた時、熱いから売店で水を買うのですが、時折ペットボトルの蓋が緩んでいるものがありました。
蓋を回した時にちゃんとパキパキと音がしないのは、中身を抜いて使いまわしているから気をつけて、という注意も飲み干した後に聞いて、もう「あとのまつり」。
でも、それは飲んでも大丈夫だっだので、「知らぬが仏」ということもあり、日本のことわざは世界でも通用するなと(笑)。

 

一番辛かったことは?

やはり、暑さかな。
派遣されたのはべ二・スエフという繊維工業が発達した街でした。
カイロからまだ南に1時間以上はなれたところで、エジプトでは3番目か4番目ぐらいの中核都市です。
現地は南にさがっている分ほんとうに熱くて、果樹園の研究でしたがほんとうに枯れた農場で干からびました(笑)
しかも、当時の自分は、か細くヒョロヒョロとしていたので、ほんとうにしんどそうにしているときに、地元の博士が見るに見かねて、「これを飲め」とすすめてくれたものがあるのです。
その博士は、いつも水筒に何か赤い液体を持っていて、それをちびちび飲んでいました。
でも、私は「これ飲んだら、もう日本に生きて帰れないかもしれない。これはイケない薬ではないか」と思ったのですが、あまりにもしんどかったので頂くことにしました。
飲んだらすごく元気になって、「これは何?」と聞いたら「カルカデ」と。

 

カルカデ?

今はハーブ講座を開催しているので、その効果はよくわかっていますが、当時はじめて飲んだ真っ赤な液体は酸味が強く、しかもドロッとしていました。
そして、その博士はハイなくらい元気でしたので(笑)、その元気の源は危ない薬に違いないと思っていたら、なんてことはない、ハイビスカスのシロップでした。
飲んだ瞬間に、すぐに元気になり「これはすごいな!」と。 ハイビスカスとの初めての出会いは、本場エジプトでしたね。
ハーブのチカラで復活をなすという経験を初めてしたのもエジプト。  だから灼熱の夏はハイビスカスティーです(笑)。

 

現地の方との言葉、コミュニケーションは大丈夫だったのですか?

英語をしゃべるよりもアラビア語をしゃべったほうが、地元にはウケがいいだろうという勝手な思い込みで、出発前に事前に勉強していきました。
ついでにアラビア語を2ヶ月の派遣期間で習得してしまおう!という勢いもあり、帰国する頃にはだいぶ慣れました。
エジプト方言でアラビア語をしゃべれるようになってからは、「英語よりはいい!通じる!」と言われました(笑)。
もっぱら好奇心旺盛なので、ひとりでぷらぷら~と街に出ていって。
街には同い年ぐらいだと思われる方達とコミュニケーションをはかりました。
同い年といっても、東洋人とは違い、実際には12,3歳ぐらいの子どもだったりしたのですけどね(笑)。
休みにはカイロに遊びに出る習慣がついていた頃、日本語で話しかけてくる陽気なエジプト人がいました。 「遊びに来ないか?日本のことを教えてくれ」と言われて、「いいよ、じゃ行くよ」と、その方の家に遊びに行ってお茶をよばれて…。

 

え?!お一人で、いきなり異国の地の見知らぬ方の家に遊びに行ったのですか?

鳥取から出たことない者が、いきなり出た先がエジプト。
狭い砂場から広い砂場に出たみたいな、田舎と変わらない感覚で(笑)。

すると、遊びに行った先で、温かい黄色い煮汁みたいなものがコップに入って出てきて「飲め」と言われ、「これは?いけない色のような気がする」と思いました。
クンクンと香ると、なんだか薬のような匂いがして、警戒して「これは何だ?」と聞くと、「エルバだ!エルバ!」と答える。
エルバなんていう英語は聞いたことないので、「それは何なのか、実物をもってきて!」と言うと、奥からオレンジ色か薄い黄色の、粒々の穀物のようなものをもってきて、「これを煮るとこんな色が出るんだ!」と言う。
「あ、穀物系だから大丈夫だ」と思って飲むと、やはり薬のような苦い味がして「これは何のために飲むの?」と聞いたら「胃のためにいいから」と。
苦いから胃にはいいだろうと思いながら、もう一度「名前は?」と聞いたら「エルバ」。

それから、日本に帰り、植物の勉強をして、自分でハーブセミナーをひらくようになり、テキストをつくるときに、ハーブのことはラテン語で「エルバ」ということを知るのです。
そういう意味でも、エジプトはハーバリストとしての見聞を広める原点にもなったという感じです。

 

ひとりで出歩いていて、危ない目にはあわなかったのですか?

農場を行き来する間にいろんな方とお友達になりました。
なんせ、現地に日本人が入るのは初めてだったので、地元の位の高そうな人も、おもしろがって近づいてきました。
イスラム教の中でも、日本でいったらお坊さんにあたる導師(グル)から「どの神を信じている?」と尋ねられました。
どの神といわれても、日本の神道と言ってもわからないので、「日本にいる神様です」と答えると、イスラム教の方たちは「アラーが唯一だ」と。
「オレンジが甘いのはなぜか?」と聞かれたので、私は「昔は酸っぱかったけど、突然変異で枝変わりをして甘くなった」という科学的なことを考えました。
イスラム教のそのグルは「神様が甘くした。疑わない。みんな、そうだ!」と答えました。
私は「あぁ、なるほど」という感じで、話が進んでいくと、私の発言が響くところがあったのか、「この人はイスラム教徒になるにふさわしい」とふんだのか、「ちょっと集会所に来い」と言われて。

 

それは勧誘でしょうか?

連れていかれた建物には、頭にターバンのようなものを巻き、ひげがいっぱい生えた年配の偉い方達が何人もいました。
そして、「代々の名前はないけれど、この人とこの人の名前をとって、お前の名前はムハンマド・サイード・ハッサンだ」と。
本来は一番目につくのが自分の名前、二番目にくるのがお父さんの名前、三番目はおじいちゃんの名前というように3つの名前をつける。
ムハンマド・サイード・ハッサンは自分の名前でありながら、私はムハンマド、サイードさんがお父さん代わり、ハッサンさんがおじいちゃん代わり。
そして、途中、皆が唱和をしながら、お祈りのような儀式をするのです。
名前をいただいたということは、「ひょっとして、私はイスラム教の洗礼を受けてしまったのでは?」と思いながらも、ホテルに戻りました。

ホテルのスタッフにはコプト派キリスト教(コプト正教会)の教徒が多くいました。
彼らは、言葉の端々にアラーにかかわる言葉が出てくるアラビア語を使うのはあまり好きではない分、英語を使いたがりました。
彼らに「さっき誘われてお祈りをしてムハンマド・サイード・ハッサンだといわれた」と言うと、「それはなんだ!!おまえはイスラム教徒になったのか!すごい残念だ!!」と、とてもショックだったようです。

同じ国で宗教的な対立があるということを、はじめて肌身で感じました。
ひとつの国の中で宗教が対立していて、そこに入り込んだ日本人が一方に肩をもつような形になったら、他方から「残念だ!」と言われる。
これが宗教対立につながり、その拡大版が宗教戦争なのだと、カイロについてからおよそ1ヶ月目で経験しました。

 

暑いエジプトでまた篤い経験ですね。

だからでしょうか、今度はコプト派のキリスト教の男の子たちが「教会へ来い!」と。
日本にもキリスト教会がたくさんあるのに、当時まで一度も入ったことがありませんでした。
それが、生まれてはじめて入ったキリスト教の教会がコプト派。
コプト正教会はキリスト教の古い流れをくんでいながら、聖母崇拝も盛んです。
教会に飾られたイエス・キリストや聖母マリアのイコンはほんとに美しかった。
今から思えば、信仰心や畏敬の念といった、なにがしか人にとっての原点を見に行った感じでした。

 

何もかも、はじまりのエジプト。 派遣先以外に観光はなさったのですか?

スタッフがミステリーツアーみたいにして連れて行ってくれたのが、アレクサンドリア。
その途中、ワーディナトルーンというオアシスのようなところに連れて行ってくれて、かなりワイルドな感じのお昼ごはんがでてきました。

 

ワイルドな感じのお昼ごはん??

衛生状態がよろしくなく、常に食べものにたくさんのハエがたかっていました。
オアシスといっても、塩がたまる枯れ田の一部に水が沸くものだから、少しの水を頼りに生き物が寄ってくるのです。
パンであっても少しでも水分があるとワァァーッとハエがたかり、そのパンを食べながら、ハエも口に入ってしまうかも(笑)。
目も粘膜があって濡れているので、目にもハエがたかる。
水のない状態で生き物が生きる時は、なんであろうと水分を利用しなきゃ生きていけない。
なぜ水が枯れているかといえば、ワーディナトルーンの「ナトルーン」というのはミイラをつくるために必要なナトロンのこと。
ナトリウム分の多い水しかないので、人が飲むにはあまり適してない、苛性ソーダのような強いアルカリ性。
代々のファラオにはじまって、色々なミイラを作る時に効率よく水分を脱水するために使ったのがナトロン。  ですから、それを好んで飲む人はいない、生きながらミイラになりたくないですからねぇ(笑)。

そしてミステリーツアーの目的地、アレクサンドリアへ。
生まれて初めて見た地中海に感動しました。
街並みはヨーロッパ調で、また違うエジプトのイメージがありました。
後ほどタロット講座をするようになって、古代この都にあらゆる学術、芸術、文化が集結していたということを知るわけですが、当時は、さほどピンときておらず、「なんでこんなところに連れてくるの?」という感じでした。
これもふしぎなご縁です。

 

砂漠緑化や農業指導はどんな形になったのでしょう?

私が派遣されたのは、エジプトが近代化農法を取り入れようとしていたときでした。
ナイル川上流にダムが建設される以前は、毎年、肥えた土がやってきましたが、古代では女神イシスの恵みとして感謝していました。
それがもたらされなくなり、そこから土が薄くなり、土地が痩せてしまったので、農薬や化学肥料を使うかどうかというときでした。

海外からの支援でヘタに資材を外から持ち込むと、うまくいったとしても結局それを海外から高い値段で買わないといけなくなる。
そうならないように、化学肥料を用いない持続可能な農法に取り組みました。
ナイル川の上流から肥沃な土が来ないならば、それに匹敵する栄養素を作ればよいと考え、地元で堆肥を作ることを研究しました。
それには堆肥の素材と、それを分解するための微生物が必要でしたが、幸いにもその2つは現地で確認できました。
一緒に行った設備担当者が、ナイル川の水を内陸部にまで運び込むためのポンプや貯水池も作ってくれました。
その横に堆肥のための施設を作り、堆肥の作り方も指導し、「地元にあるものをうまく使いさえすれば実は資源は無尽蔵にある」ということを伝えました。
それを実践していれば、エジプトに近代農業が入りかかっても「いやいや自分たちでできるよ」と、それを拒否できる。 あとは地元の方達の努力。
まぁ、どうしても農作物を海外に輸出するために農薬を使う人もいますが、現地にあるものをうまく使い、せめて自分たちが食べる分だけでも健康的なものを作っていたらいいなと思います。
その後も、後続隊が出てうまくいっているみたいです。

 

いろんなことが今につながっている気がしますね。
エジプトから帰ってきてから感じたこと、みえてきたことは?


一番実感したことは、エジプトでは乾燥した季節をずっと経験したので、島国の日本は湿気の多い国だということ。
まわりに海があり、山からも水が流れてくる、ほんとに水の豊かな国なのだなと。
それによって日本は色々なことが守られている、と水がないところにいたから余計にそう思いました。

また、日本人としてのアイデンティティーを掘り下げることになりました。
二十歳から裏千家茶道を習っていて、エジプトに派遣されるときには4、5年続いていましたが、あらためて日本に帰ってきて、茶道は本当に伝統的なものとして価値があるのだとわかりました。
エジプトに行くまでの稽古の仕方と、帰国後の稽古の仕方は、もうレベルというか観点というか、取り組み方がまったく変わりました。
やはり一回海外に出たから、「日本人としておさえておきたいことがある」という気持ちがますます強くなる。
そこから『古事記』など日本の古典を勉強することもはじまったと思いますね。

 

来る2013年春は再びエジプト旅行を計画中だそうですね。
しかも生徒さんもご一緒というツアー。  山根所長、一押しの場所は?

やはりフィラエ島のイシス神殿ですね。
みんなでイシス神殿に行きたいです。
普通1時間しか滞在しないところを、こだわって、もう少し延長して、長く滞在させてもらう予定です。
エジプトはナイルあってのエジプト。
女神イシスが豊かなナイル川の水をうつしているという信仰の聖地でもあります。
とりわけ、「水」を象徴的にとらえると、水が少なくなるということは、心に潤いがなくなったり、ギスギスしたりするという見方もできる。
もう一度、潤いを取り戻してくれるのが女神のチカラだとしたら、女神信仰のひとつのセンターであるエジプトのイシス神殿ははずせません。
私は、女性には女神として巫女としてのチカラがあると信じています。
たくさんの女性、もちろん男性にも活躍していただきたいので、「いざ!女神の聖地フィラエ島!」ですね。

 

そもそも、学生時代からエジプトに対しては、そういうお考えがあったのですか?

全然ありませんでした。
帰国して、いろいろと勉強し、タロットと出会ったことが大きいですね。
でも、なぜか13歳にしてはじめて手にしたタロットはエジプシャンカードでしたから、それは不思議だなと(笑)。

 

エジプトとは深いご縁がありそうでうすね。

学生の時に小麦を扱っていて、農業技術指導として派遣されたのも、もう一度エジプトを肥沃にするという観点でとらえれば、オシリスの復活にかかわること。
そういう意味では、自分がやったことは女神イシスのちょっとしたお手伝いだったのかなと。 あくまでも象徴的な見方ですけどね。

 

エジプトという地はご自身を豊かにしていくのかもしれないですね。

田舎育ちで世間知らず、ずっと温室育ちだった者が、いきなり砂は砂でも、エジプトという大きな砂の中に出て行った。
そこで経験したことは、いま思えば世界の縮図だったように思います。 カルチャーショックといいますか、まったく違うものを見て、体験しました。
以来、エジプトには幾度か足を運ぶのですが、自分の内にあるものを深め、より日本のことをみつめていくという方向と、もっと広く世間をみていくという、二つの方向にチカラがわかれていったように思います。
そういう内なるものが広がるエジプトは、私の人生のターニングポイントです。

 

山根さんの心の中に流れるナイル。 次のエジプト入りも、より肥沃な土を運びそうですね。

何かしら、また見聞を広げたいですね。 内と外というか、上と下とか、限りなく(笑)。

 

学生時代以降、3度にわたるエジプト珍道中はまだまだネタの宝庫なので、追々、「やまねのねどこ」もお楽しみください♪

 

 ・山根康児インタビュー記事

 

 


 
 
 

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