◆第5回 「日本人と心の緑化 その1 歴史の中のモノがたり」 |
(平成24年12月27日掲載) |
山根所長は茶道の先生であり、そして神職の資格もお持ちで、セラピースクール「シーズ」では「神道」や「古事記」といった「日本のこころシリーズ講座」を開催されていますね。
もともと、1997年頃、まだ私がサラリーマンをしているときに古神道に関するセミナーをやっておりました。
その神道のセミナーも年に何回か開催し、それから退職後もこの分野は自分の中でも研鑽をつんでいきたいので、まとめものをして、そして発表をする場として、講演・講義をしてまいりました。
お作法やマナー講座も開催されていましたね。
茶道をしている影響もあってお作法あるいはしきたりというのもには、おそらく他の方以上に神経を使いますし、関心がありますね。
そういうものは世界にもあるのでしょうが、とりわけ日本はそういうものが目立つのでしょう。
礼儀正しい国といわれていますし、それは日本人の心のあらわれのひとつなのかなと思います。
「日本人の心」 あらためて考えると、なかなかひとことでは難しいです。
歴史を少し勉強すると、昔話の中に秘められたメッセージ、それもいろんな説がありますけれども、その中でも汲み上げてみると意外なものが出てきます。
例えば、桃太郎の伝説の背後には、ある王朝の話とか、かぐや姫や浦島太郎のお話の背後には、やはり語りついだ人々のメッセージが感じられます。
そういった日本の民話や伝承について一年間扱った年もありました。
今年(平成24年)は『古事記』編纂1300年でしたので、一年を通じて『古事記』、特にご神名などを中心にお話をしてまいりました。
そういう意味では、15年間ほど『古事記』、古神道といった歴史ものに触れて、いよいよ来年(平成25年)から開催する講座はその集大成です!!
どのような講座なのでしょう。 まず、タイトルをどうぞ(笑)
「あぁ!なるほど~♪日本のヒミツとホントを語る」がはじまります。
日本のヒミツとホント? 気になりますね。 ここで読者限定、予告編をお願いしたく…
そうですね。 大きなもののひとつとしてやはりこの世界は「カタチ」がある世界。
もちろん「カタチ」のない心の世界もあるのですが、この世界は心が「カタチ」として現れる世界です。 心を大切にするために「カタチ」も大切であると思うのです。
ですから現在残っている文化的なもの、それに類するような伝統工芸品も含めて、そういうモノに価値を見いだす。
それから、そこにはどんな心がこもっているのか? ときには祈りの心だったりするでしょうし、ある人を大事に想う愛情あふれる心だったりするでしょう。
「カタチの中に心が入っている」という、古代から私たちにずっと伝わる大切なこの世界の教えのひとつ、そういうものを感じ汲み取れるようなことを伝えていきたいと思います。
この世の中にあるモノ、道具にまつわるカタチ、そこに見いだされる精神、あるいはそのモノが働くときの役目。
専門的には「ものざね(物実)」といいます。 これらはおまじないやおまもりのように使えるということもお伝えしていきたいですね。
身近なモノやカタチにはいろんな想いがこめられていた。
ちょっとわかりにくいので、その例をあげると「扇子」はどういう道具かご存知ですか?
扇ぐもの。 昨今、夏のマストアイテムです。
そう、扇ぐ。 現代人も熱いので夏、風をおこし、風を送るために、扇子を使いますが、しかしある世界では扇子は閉じたままで使います。
開かないという使い方がある。 その場合、扇子を別の使い方をしたとみなすことができるでしょう。
あるいは、扇子は人を扇ぐのではなく、全く別のものを扇ぐとき、それは風を送るためのものではないはずです。
そして扇子は骨の部分と、それを繋げる「かなめ(要)」の部分があります。 要があっての扇子なのですが、あえて要を外すという方法で、いわゆる、おまじないをすることもあります。
ずっと伝わってきたもので、それを知っている人だけができることですけれども、昔からされてきていることです。
ですから、その心を受け継いで、そして皆様にもお伝えし、逆に要を外すということはどういうことなのか、そして「かなめ」というのはどれだけ大切なものなのかをお話していきたいと思います。
これが「扇子編」です(笑)。
カタチとして残ってきたもの、そして今もなお、使い続けてきているものから「心」を見いだす。
伝世品という、何百年と人の手から人の手へと伝わってきた道具は、次に残そうという心があり、そしてそこに価値を見いだしたために保存されていきます。
例えばある人の食器であったとしても、ずっと使い続けるということは、そこに愛着以上の「何か」を見いだしたからです。
そういった何かを知っていただくために「日本の心シリーズ」の「ものざね編」があります。
目の前にある「モノ(物)」には必ず長い歴史があると思います。 いわゆる「モノがたり」。
なぜそのカタチになったのか、多くの人の手がくわわり、気持ちも、祈りもこもり、わたしたちはそれを受け継いで次の世代へ渡していくひとつの責任があると私は思います。
責任があるからこそ、がんばろうと思えるし、そういうことを伝えていきたい。
なぜなら、その前から誰かがしてくれていたものの上に、今の自分が在るからです。
古代から伝わっている、残っているといえば、日本各地には神社や聖地があります。
山根所長も今年はいろいろな地域に足を運ばれているようですが。
そうですね。 今年は関西はもちろん、北海道、諏訪、出雲、地震の神様がまつられている常陸一宮などに参りました。
各地を訪れてみて、非常にきちんとおまつりされていること、そのおまつりをされている各地がそれぞれネットワークをつくって結ばれているということを体感できました。
そしておもしろいのは、それが『古事記』やそれ以外の文献などにも「ものがたり」として残っていて、この物語の紐をとくと、距離が離れている地域なのに、ご祭神の関係からご縁があることもわかります。
それは単に、ある氏族のご縁だけではなく、日本列島の地下に見られる地殻構造、これは日本ができる時に大きく動いてできた「中央構造線」といわれるライン上に大切な神社がまつられています。
そういう目に見えない聖なるラインがあります。 この聖なるラインは現在では地殻構造としてわかっていますが、通常のわたしたちの感覚ではわかりません。
しかし、各神社が創建された時代、あるいはもっと古くからそれがわかっていたとしたら、なぜわかったのか。
どうやらわかったうえで、必然的にたてられた形跡がある。
偶然に場所があるだけではなく、ご祭神とのかかわりなどから意図的に神社・聖地を配置し、そして祀ったと思われる形跡が日本のいたるところにあります。
その続きは平成25年1月9日開催予定の「あぁ!なるほど~♪日本のヒミツとホントを語る」プレセミナー「日本の聖地ネットワーク」にてお話が聞けそうです。
では、聖地、いわゆる昨今のパワースポットブームといいましょうか、その風潮について山根所長はどうお考えでしょうか?
お伊勢さんを筆頭に、パワースポットといわれる場所がインターネットやマスコミで紹介されるにつれて、そういった聖地に「おかげ」をいただきに行くという現象が、ここ何年か見られます。
その時の「心がけ」なのですが、なぜここにパワーがあるのかな? そこからパワーがいただけるのかな? いや、自然と湧いて出てくるものなのか。
あるいは循環してそこから得られているものなのか。 循環しているものだとしたら、誰がまわしてくれているのかなとか。 あるいはすでにある聖地の一部だとすると、その聖地を結んだのは誰かな?
そういうことを考えれば、おのずと自分だけという思いではどうだろうか? 自分だけがそのエネルギーを奪うようなお参りの仕方をすべきではないし、逆に自分がいただいたら、何か別のものをお返しして、次の循環につないでいく、ということに考え至ると思います。
聖地に訪れるときには、先からいただいたものを今うけとっても、その後に続くような形で聖地を訪れていただきたいです。
というのも、訪れることでそこに人の気を寄せることになり、そして次の世代へと引き継ぐことになります。
ただ大きな石が据えられていても、忘れられてしまっては意味がありません。
人が聖地といわれるところへ足を運び、そして讃える。 讃えるからこそ、そこに「場」ができ、その地域そして日本という国が鎮まる。
私はそのように考えるので、行くのはよいけれども、行ったら、ぜひ「おまつり」をして欲しいです。
それはおおげさなことではなくて、本当にふたつのことです。
「今までありがとうございました」これがひとつ。 「これからもよろしくお願いします」これでふたつ。
おまつりはいつもふたつの心があります。
それは神社を参拝する時のお作法ですよね。
最近は神道の本などでも紹介されていますが、精神性にまではなかなか触れられていないように思うのですが…。
ひとついえることは、神道は感じるものだからです。
ただ、私はちょっとアウトローな感じですし(笑)、とりわけ砂漠緑化をはじめ、様々な師匠から受け継いだものもあります。
また言霊(ことたま)的、数霊(かずたま)的なこともあわせて、次の世代に伝えていくというのを、ひとつの使命だと思っています。
神社やお寺、あるいは別の表現では「気持ちがいいところ」と言ってもいいですが、パワースポットとされるところは今のこの地球上ではある一点。
実はこの一点は他の点と結びついているだけでなく、時間的にも過去と未来をつなぐ一点なのです。
そのことを忘れてしまいがちなので、ある場所のエネルギーをいただきに行った時には、ほかのものと繋がっているという意識をもってほしい。
その場所に行き、そこだけからエネルギーを奪うのではなく、自分を通してエネルギーが流れて、また別の所におまいりした時には、またそのエネルギーを流す。
「ありがとうございました」という意識をもつと、その方自身が「おまつり」をしていることになります。
あるいは、神社におまいりし、叶ったら御礼まいりでお返しをします。
1度きりではなく、最低2度おまいりします。
古い時代であれば地元の神様にお願いをするので、最初に一回、最後に一回、というように必ず対になっています。
そういう「御礼まいり」の習慣もなくなりつつあるので、そのあたりも忘れないでほしいと思います。
「叶う」というのは循環した結果。 エネルギーが循環した結果なのだということも多くの方に知っていただきたいです。
神様と人間のやりとり。 これも日本人の心だったのかもしれないですね(笑)
とくにこのモノの世界で、モノの充足と心の充足を得たいのであれば、心の法則、エネルギーの法則として、聖地のまわり方や参拝のお作法は心得ておられたほうが心も豊かになりますし、願ったものが叶いやすくなるはずです。
いろいろな視点から探る「あぁ!なるほど~♪日本のヒミツとホントを語る」。 日本をあらためてみつめるには、いい機会かもしれませんね。
15年あたためてきて、わたくしの機が満ちました(笑)。
来年は20年に1度のお伊勢さんの遷宮があります。
私は鳥取出身ですが、同じ山陰の出雲大社も遷宮ということで、色々な大きな節目がやってきているように感じています。
やはり今年から来年にかけてうまく意識をきりかえて、あらたなスタートをきる非常にいい年まわりだと私は思っています。
ではセラピースクール「シーズ」として、この講座にかける意気込みをお聞かせください。
わたくしの集大成ですから、その大きなもくろみは…!!
日本にとって必要な「みこ(巫)」を育てます。
次回その2「モノと心」につづく
・山根康児インタビュー記事 |