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やまねのねどこ 第2回「根は口。山根康児の舌ごころ」前編

 

 ・山根康児インタビュー記事

  話し手:NRC自然療法研究所 所長 山根康児          聞き手:ライター おたまじゃくし


◆第2回 「根は口(くち)。山根康児の舌ごころ」前編 
 (平成24年6月10日掲載)

千の口と書いて「舌」。 山根さんにはたくさんの入り口がありそうですが、もの心ついた頃から伸び始めた根、つまり心惹かれたものは何でしたか?

保育園のお昼寝を抜け出して、花の蜜を吸うあたりから、今、思えば植物には早くも触れていたのかなぁ・・・。
それに小さい時から実家のおばあちゃんが土地を借りて農園をやっていたので、そこでいろんな農作業の手伝いをするのが面白かった。 「作業を手伝いに来い」と言われるから行くのではなくて、おばあちゃんが農園に行くからついていく、という感じで。 そこで花がついて実がなり、それをそのままもいで食べるのも好きでしたね。

 

おばあちゃんの農園、一番美味しかった野菜って覚えています?

どれも美味しかったんだけど、やっぱりトマトかなぁ。
今思い返してもトマトの味を比較してしまいますね。 今、トマトを買いにいっても「桃太郎」の品種が多いじゃないですか。 桃太郎がまずいわけではないけれど、桃太郎以外のものが食べられなくなってきていることを知っている自分としては、じゃぁ、あれはもう食べられないのか?

 

もぎ取った時の青臭さ、かじった瞬間の甘い香りがしたトマト。 そういえば、久しく食べてないです。

もちろん今の私なら植物遺伝学上、栽培できることは知っているので、2年ほど待ったら作ることできるんですけど、今思うにおばあちゃんが作ったあのトマトはなかなか食べられない。 やはりトマトが一番印象深いですね。
その次はきゅうりかなぁ。 子どもの頃に見て食べていたきゅうりと、今のとはぜんぜん違うので、思い返すと、このふたつは今では簡単には食べられないものかな。 貴重という意味も含めて当時がよけい美化されて美味しかったぁと思いますね。

 

セラピースクール「シーズ」で開催される料理教室は野菜メインの料理が多いみたいですが、なぜに野菜にこだわるのでしょう? ご自身はお肉やお魚は食べないのですか?

魚は父が趣味で釣ってきた魚をそのまま食べていましたから、ちょっとは食べるのですけど、肉の固形は昔から駄目だったんです。
でも、食べさせられてはえづき、小学校の給食では食べないで反抗していたら、先生に「休憩時間が終わったら給食センターに自分で持って行きなさい」といわれて、明るく元気に「はぁい」と食器とともに返しにいく、頑固な児童でした。

 

お昼休みに居残りで泣きながら食べている子いましたね。

「食べなかったら休憩はありません」と先生にいわれて、そうすれば遊びたさに食べると思ったのだろうけど。 私は、わがままもあったけど、無理やり食べて、もどして気持ち悪くなる経験のほうが上回っていた。 子どもながらにそんな命がちびるようなことしたくなかったので、気持ち悪くなるよりは、遊ばなくてもいい。 ずっと休憩終了のチャイムがなるまで我慢をして、チャイムと同時にるんるん気分で給食センターのおばちゃんのところへ。 センターのおばちゃんにしてみれば、「また肉食べなかった子や」と有名でした。

 

育ち盛りの息子は肉を食べようとしない。 ご両親の反応は?

さすがに母親が心配して、肉を食べさせようとして、いろいろ工夫して食べさせるけど、量を食べると駄目だったんです。
それで二十歳を迎えたとき、法的にも犯罪がおこれば自分に責任があるように、自分で決めて「お肉一切食べません」宣言をして、二十歳で独立しました。 その時、母親は、うろたえましたね。 「じゃ何を食べさせたらいいの?」と。
母には「以前食べさせてくれていた野菜を食べさせてくれたら問題ないです」と言って(笑)
そしたら、小学校2年生からずっと、13、4年ぐらいかなぁ、アレルギー性鼻炎で耳鼻科通いだったのが、ピタッととまったのです。 それまでは絶対週2、3回吸入しにいって年中薬飲んでいたのに、肉をやめてからピタッと治って。
「身体と食」ということに関心もって自分でも勉強しはじめた頃から、肉は人に合うあわないがある。 好き嫌いだけではないものがある。 自分自身がそうなのだということに、ちょっと経ってから気がついたのです。
そして、肉系のスープもエキスとして分解されているものはちょっと前まではOKだったのですが、今はもう駄目になってしまって。 いよいよもって、野菜に頼らなくてはならなくなった。

 

ご自身の身体を通してますます野菜にこだわらざるを得なくなった。

まず、野菜の持っている力を最大限に引き出さないと自分の身体が維持できない。 ということは現実問題、野菜の能力を最大限に引き出す調理方法を極め、おさめなければならない。 ひいては野菜をめでることにつながるし、良いことやん! ある意味、一石二鳥も三鳥も!

 

トマトの味、きゅうりの味、素材の味をどう引き出すかがこめられたお料理教室はステキですね。 それを、味わうための「味覚」について、今、何か感じることはありますか?

現代人の味覚はいい意味で肥えすぎていますね。 あ、悪い意味でも(笑)
たとえば調味料ひとつをとってみても、ものすごく多くの調味料が市場にでまわっているので、いろんなご家庭に「ドレッシングを含めて、家に調味料は何種類持っていますか?」と尋ねるとドレッシングは2種類とか、ほかにもいっぱい持っていらっしゃる。
それがいけないんじゃなくて調味料使ったらその味になっちゃうんですよね。 でも繊細な野菜を食べるときに調味料が強いと、みな調味料の味にかぶってしまって、野菜が味わえない。 少なくとも今、講座をしている料理教室では野菜の味を生かすような調味料の使い方をします。 じゃ何が目安かというと究極は、平安時代の調味料です。 4種類。
貴族が使っていたものは、酒、塩、酢、醤(ひしお)。 平民は塩と酢なのです。 当時の醤は塩辛のイメージで、それから醤油や味噌ができてきますが、平民には特殊。  お酒は贅沢すぎて調味料に使わないもの。
そういう意味では基本調味料は4つ。 平民は2つ。 それだけで野菜とか食事が味わえたはずなのですよね。
西洋からもいろんな調味料が入ってきていて料理の味をつけるのに豊かにはなっているけれど、調味料が多いことと、ほんとに豊かなこととはイコールではない。
調味料が勝ると野菜とかその食材の味を消してしまう。
食べている本人たちは、ほとんど気がついてないですけど、調味料の味で食べているため、あと残るのはせいぜい食感ぐらい。 香りも下手したら消えてしまう。 何食べているのか? となると調味料食べていますって。
そして調味料も使いはじめると、どんどん濃くなって濃いほうに固定されていくものなのです。

 

素材そのものを愛でないと感覚も豊かさも失われる危機感を感じつつ 、山根康児の植物の根は食物の根へと伸びていきます。
次回は山根康児の「舌ごころ」後編につづきます。

 

 ・山根康児インタビュー記事

 

 


 
 
 

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