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やまねのねどこ 第8回「山根康児のあの音(ね)の根(ね)
  その1 音の値」

 

 ・山根康児インタビュー記事

  話し手:NRC自然療法研究所 所長 山根康児          聞き手:ライター おたまじゃくし


◆第8回 「山根康児のあの音の根 その1 音の値」 
 (平成25年1月1日掲載)

 

山根さんは、かつてギタリストだったという情報を入手しましたが、真相はいかに?

はい。 けっこういろいろ弾いていましたよ。
今は長くギターも触ってないから指は鈍ってはいますが、弦楽器の感覚はたぶんまだ残っていると思います。

 

アコースティックギター? エレキ? ベース? なんでも??

一応ひととおり、こなしておりました(笑)。

 

自分はFコードで挫折し、いまだ、ギターは弾けないです。

Fは厳しかったぁ! 指を割ろうかと思うくらい…
でもなんとか届いて、もちろんFコードの入っていない曲を好んではいましたけれど(笑)。
中学の時に、いとこが持っていたギターを譲ってもらい、何気なく始めて、それを友達に教えて、その友達もすぐに上達したから、その友達も近所の子に教えて、弟子の孫弟子までいたのです。

 

独学で始めて、孫弟子を抱える師匠になるなんて、よっぽど音楽が好きだった?

音楽はもともと嫌いだったのです。
しかし、ある事件がきっかけで、中学の時には楽器屋さんに行って、音叉を借りて、音叉だけで調弦して。
あとはNHKの古賀政男先生の「NHKギターを弾こう」の番組を見ながら、ポロロンと古賀先生が弾く曲を聴きながら、自分もポロロンと弾いてみて、「お!いけるじゃん!テレビでやったのと同じ音が弾けるわぁ」とか言いながら、どんどん上達していく自分がいました。

 

バンドも組んでいた?

私はギターができるから友達にギターを教えて、ベースもギターの延長だからまた別の友達に教えて担当してもらい、テンポやリズムもとれるからドラムも友達に教えて、ボーカルは歌いたい子に歌ってもらって、じゃ、自分はまとめてシンセサイザーとキーボードをするから、ということでバンドは組んでいました。

 

ジャンルはどんな感じのものをなさっていたのですか?

テレビのベストテン番組に入っていた当時流行の歌謡曲とか、いろいろとカバーを。
安全地帯とか、いわゆるニューミュージック時代の曲をやっていました。

 

そのまま続けていたら音楽の道の可能性もあったわけですよね?

そうですね。 受験の波にもまれていなかったら、その可能性もあったかもしれませんね。
曲も自分で譜面おこして書いていたり、キーボードにいたっては、当時のシンセサイザーで一番いいやつをお年玉はたいて買ったりして、音にこだわっていました。
自分は2年目に受験に入ったから、バンドとしては一人、イチ抜けたという感じで、メンバーは変わっていきましたが、いまだに趣味としてずっと音楽活動している友達もいます。

 

音楽漬けの中学時代、吹奏楽部だった時代もあったそうですね。

トロンボーンを吹いていました。
でも、あまり自分が思ったようにはうまくいかないから、一年でもう辞めたのです。 嫌になって。

 

音叉で音をとれるまでの少年が、うまくいかないと悩んだ。 それはまたなぜ?

音がちょっとずれるのが嫌だったからです。

 

吹奏楽部において、みんなの音がずれるから?

いや、ずれる自分が嫌だった。 音をうまく出せない自分が嫌でね。
吹奏楽部を辞めて、中学2年にはバレーボール部に行くのですけれど、音楽の先生が変わって吹奏楽部の顧問も変わりました。
そこで、「あなたは、楽譜もサラサラと読めるし、楽器もあれもこれもできるから、吹奏楽部に入ったら?」と言われたのですが、「吹奏楽部はもう辞めたのです。音楽はもういいです」と断りました。

 

トロンボーンではなくて、他の楽器だったら続いていたかもしれないですね。

前の先生から「あなたはトロンボーンを吹きなさい」と言われてね。
まず、楽譜がスラッと読めることと、口の形を見て。
唇の厚さとこの歯の形はトロンボーンをやり続けたら、絶対プロになれる!と、先生の保証付の推薦だったのです。

 

ますます、もったいない…ボーン奏者、山根康児も見てみたかったですね。

ある人は唇の薄さとか歯の具合を見て、あなたはクラリネットをすればいいところまでいける、という凄い先生が吹奏楽部の顧問でした。
ただ、出来すぎる先生と、何もわからない生徒とはギャップがあるでしょ、温度差が。
だから、ほんとうにその先生のもとで吹奏楽を頑張った人は高校に行っても音楽活動をまともに続けていたし、そのまま音楽大学にいくような生徒も多かったですね。
凄くいい先生だったのですが、自分としては、その先生の良さが当時はわからなかったのですね。

 

ピアノを習っていたとか、ご家族は音楽一家だったのですか?

ぜんぜん(笑)。 母親が鼻歌を唄っていたぐらいで、カラオケが好きな一家でもないし、誰も音楽をしなかったし、どういうわけだか、わからないですけれど。
はたから見ていた親なんかは、おそらく誰も教えてもいないのによくやっているなと思っていたのではないかと。
ただ、音楽を好きになったきっかけとして考えられるのは、あるトラブルがきっかけかもしれないです。
ある事件が…。  先ほども申し上げましたようにもともと音楽は嫌いでしたからね。

もともと嫌いだった音楽を得意分野へと変えてしまったある事件とは・・・
次回は小学校時代の山根少年に迫ります。                  つづく

 

 ・山根康児インタビュー記事

 

 


 
 
 

◆お役立ちリンク

蘇生 共生 育生【NRC自然療法研究所】   山根康児インタビュー記事/「NRCドリーム」/「やまねのねどこ」  

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