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山根康児「夢」 『NRCドリーム』 第7回「日本人と心の緑化
 その3 
―ほんとうのセラピー―」

 

 ・山根康児インタビュー記事

   話し手:NRC自然療法研究所 所長 山根康児          聞き手:ライター おたまじゃくし


◆第7回 「日本人と心の緑化 その3 ほんとうのセラピー」 

(平成24年12月27日掲載)

 

山根所長が「心の砂漠化」を感じたのは確か20年くらい前とお聞きしています。
でもますます、その砂漠化は深刻なくらい進み、その要因となるのか「ストレス」なんて言葉も今や普通に聞く世の中です。
そこでセラピーという言葉はストレス社会には対にあるように思えますが、セラピースクール「シーズ」は「セラピー」というものをどのようにお考えでしょうか?

ずいぶん単刀直入ですね。 お疲れでしょうか(笑)。
ストレスを感じやすいのは、社会全体が大きく男性的なもの、いわゆる競争社会に傾いているのも一因だと思います。
ゆっくりと自分らしさを発揮できず、育めない社会もストレスを感じやすい要因のひとつでしょうね。

 

セラピーと聞くと「癒される」「ほっとする」というイメージがありますし、みこ(巫)に女神ときたらもうなんだか救ってもらえそうで…つい…(笑)。

弊所は、ハーブ食事療法の料理教室も手掛けていますが、タロットアストロロジー数霊(かずたま)など一般的には占いと思われることもしています。
そのため、ナチュラルなこと、スピリチュアルなことに興味をお持ちの方にも関心が高く、またそこからはいっていきたいということで「女神」や「みこ(巫)」という言葉をシンボリックに使っています。
しかし、ほんとうは、知恵のある女性であり、賢い女性であり、持っている女性性を自然に発揮できる人たちということを言いたい。
でも、「賢い女性」と言ったときに、今度はまったく別なところでカチンと反応したり、語弊を招いたりします。
言葉は難しいものですが、この競争社会で、ご自身の中にある、ほんとうは女神のような女性性を発揮できないでいる方もいます。
男性的な社会であったとしても、尊厳をもって女性性を発揮することができたら、もっとすばらしくなるはずなのに、それができないで必要以上に苦労したり、いろいろと不安や心配を抱かれている方も多いと思います。

 

山根所長は男性なのにどうしてそう考えるのですか?

男性だからです。 そして私の中にも女性性があります。
もちろん女性の中にも男性性はあります。
ただやはり、ひらたくいろいろなものを観てみると、どうしても世間には男性性がまさっているように感じます。
このまま男性性だけがすすんでいくと、この世界に女性がいなくなるのではないかと(笑)。
おっさんのような女性だけになってしまったら大丈夫なのかな?とか(笑)。

 

前回のお話では男性性と女性性、そのバランスも大事じゃないかと仰っておられました。
もう少し具体的にお話聞きたいです。

私たちはまず、この世界がいけないというのではなくて、今ある世界は必然的に進化してきた結果だと捉えています。
それに対してもう少しバランスをとるために、女性性のもつチカラをもう少し花開いていただきたいなと願います。

 

いわゆる「育むチカラ」というものでしょうか?

男性性という視点でみていくと、男性性はいい意味で攻撃的で排他的です。
生物学的にも、やはり男性ホルモンは育むというよりも、育むために戦うというイメージ。
一方、女性のもつ、子どもを生み育てるチカラはすごく神秘的であり、尊くて畏れ多い。 これは私が男性だから感じられるものもあるかと思います。
しかし、こまやかな感性のもとに目に見えない存在を敬ったり、天体や季節のうつろいなどを日常生活の中に取り入れたり、そういうものが少なくなってきているとするならば、対となる男性性も減ってきているのでしょうね。

 

男性性も発揮しにくい社会?

勝負心や克己心など、自他を厳しく鍛える志向とあわせて、護るチカラも弱くなってきているのかもしれない。

 

「育むチカラ」というのは、男性性と女性性、そのどちらも欠けると育めなくなる。

男性性にしても女性性にしても、ひとつの「いのち」、エネルギーの出し方であって、裏表一体。
その男性性、女性性が今、育みにくくなるということは、「いのち」とかエネルギーそのものがすごく低下している、衰退してきていると読めるかもしれない。

 

日本には女性性が発揮されていた時代はあったのでしょうか?

社会科の歴史の時間で習った時代区分で、あえて言うならば、やはり縄文時代。
もちろん、行ったことはないけれど、もし縄文時代に行ったら、女性性も男性性も、ものすごくダイナミックな人たちに出逢えると思います。 残された遺跡を見る限り。
それをみると、今の私たちの世界はすごく薄い世界に、それこそ二次元の世界に入っているような感じかもしれないです。

 

近代的な動きの中で、流されるように取り残されてしまった「心」。 取り戻せますか?

理想的な精神状態が縄文時代にあったとしても、生活をそこまで戻すわけには決していきません。
せめて縄文時代にみられたような自然崇拝をはじめとする大きなものに目を向け、そこに育まれながらも、自分たちは人間として今の文明を発展させていくという、相反するものを同時に持ち合わせていくことが、さらなる成長の原動力になるのではないかと考えています。

 

文明の相反するもののひとつがセラピーであり、その役目を担うのがセラピスト?

たとえば、私は学生時代から茶道を20年ほど続けています。
実家にいる時の茶道の師匠の言葉が「忙中閑あり」とよく仰っておられました。
忙しい時だからこそ自分をとり戻す、そういう時間は必要ですよ、という意味です。
大学時代も院生の時代も忙しくしていたけれど、茶室に入ってお稽古がはじまるとふと落ち着く。
もちろん今も仕事が忙しいときこそ、稽古をつけてもらうと「あぁ良かった」と思います。
そういう茶道のもつ、「自分をみつめる」あるいは「いつもの自分にかえる」という、まるで茶道セラピーのような効果を身体が知っています。
身体が不調なときや精神的にも慌てて焦っているときにお点前をし、いつものモードに身体が入っていくと、体調が整い心が整うことを何回も経験しています。
そしてお稽古もそうですし、日本には伝統行事やおまつりもたくさんあります。
毎年、定期的におまつりがなされるのも、繰り返しものごとをするということの本当のチカラには「整えるチカラ」があるのではないかと。

 

確かにいろんなことが急速に変わっていくなかで、自分もそうですが、その速度についていけなかったりして、どこかもどかしく「ストレス」ということばで片付けては、もやもやしがち。
何かスッキリ変わりたいとか、変えたいという風潮も感じます。

政治や経済の不安定や自然災害の不安がかさなっている今、変わりたいという気持ちはあっても、一人ひとりがどう行動したらいいかわからないのではないでしょうか。
そのひとつの指針として、私が考えるには、古代の先人たちがずっとやってきたことを思いおこし、それに倣うこと。
身近なことでいえば、やり続けてきたことに戻ってみる。 そうすることで不思議といつもの自分を取り戻せたりします。
おそらく、お祭りも同じことを定期的にしているのは、きっと個人や地域、社会を整えるチカラがあり、整えるということは、本来の働きを取り戻すといった「癒すチカラ」があるのではないかと。
いわゆるセラピーのチカラは「おまつり」にもあると思います。
日本の伝統行事やおまつりは、自分を取り戻せたり、活性化してくれたりするものだと私は信じています。

何か見失いかけている、あるいは変わりたいと思っても変わり方を知らないというときには、日本に古くから残っている「心」にふれてみることです。
その「心」を現実的なものにしたお祭りや行事、あるいはお祭りから発生した道具、長く使っている伝統的な調度品などに心をつけてみることによって、自分の心を調律することができれば、と私は考えます。

 

人や社会を育むという視点でセラピーを見ると、その場限りの「癒し」ではなく、もっと大きな流れの中で生かされていること気づかされました。
ちょっと元気でたかも(笑)。

セラピースクール「シーズ」のセラピーは、日本を元気にするという大きなプロジェクトのひとつでもあります!

 

 ・山根康児インタビュー記事

 

 


 
 
 

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