◆第4回 「山根康児の名前は本名?」 |
(平成24年8月1日掲載) |
今回の「やまねのねどこ」のテーマは名前。 山根康児さんの名前そのものが何かを育むという想いであふれていそうで、その源に迫ります。
お名前は、本名でしょうか?
はい。 本名です(笑)。 なにゆえ、そのような質問を?
あまりにも名前のまま地で歩まれている雰囲気があります。
聞くところだと、山根姓はそのままいただいて。
父の名は健路(けんじ)だったので、わたくし康児の「康」とあわせると「健康」。
ただ、健路の「じ」は道路の「路(みち)」なのです。 「けんみち」と書かないと通用しなかったみたいです。
だから私の場合も、こうじの「じ」は「路」と思いきや、児童の「児」。
ちなみに弟は「せいじ」で、父のけんじの「じ(路)」と同じです。
あら? 私だけ「路」という字がついてなくて、児童の「児」。
・・・健やかで康らかな児童・・・ヘルシーチャイルド?(笑)
健やかに育っておられる感じはしますが(笑)。
「自分だけ、なぜ児という漢字なの?」と親に聞いたら、ほんと文字通りヘルシーな、つまり「健康」ということと、いつまでも子どものように好奇心旺盛で、純粋にすくすくと、という願いがあったみたいです。
「そういうふうになったらいいな、と思ってつけたよ」と言われました。
自分でもそれを聞いて、まんまそうなっとるなぁと(笑)。
子どもの頃から「なんで?なんで?なんで、どうしてこうなっているの?」というのが、私の口ぐせだったので、まさに「どちて坊や」。
だからいつも頭に「はてな?」があって、もう、子どものまんま。
健康を願う。 あたりまえのようであたりまえでないこと。
ご両親はよくわかっておられたのかもしれませんね。 最高のプレゼントです!
なにゆえ、「健康」をキーワードとしたか、その理由は聞いてないですけど。
何か語呂がよかったのか。 なんなんでしょうね(笑)。
でも、そうつけた一年後には肺炎を患って、「もうだめかもしれない」と医者にも言われ、三途の河を渡りかけて戻ってきたことがあったらしいです。
そう思うと、あぁよかった。 ああ、いい名前つけてもろた、と思います。
ご両親、暗示していたのでしょうか(笑)。
実は…親は占い師?だったとか(笑)。
そういえば、それからも何度か命の危機に遭っています(笑)。
特にどこかで誰かに名前をつけてもらった、とは聞いていませんしね(笑)。
よく冗談で、もしも自分が結婚して子どもが生まれたら、その子どもの名前は優児と良児。
なぜなら「健・康・優・良・児」! そして、女の子だったら「優子」と「良子」! もう決まっている!!という(笑)。
その点、自分及び、生まれるかもしれない子どもの名前で悩んだことはないですね(笑)。
生まれもしないのに名前がついている。
そういうことを大学時代に自己紹介で言ったことがあります。
ご自身の名前、大好きですよね。
もうこれ以外ない。
変えたいとか漢字をいじりたいと思ったことすらないですし、姓名判断で結果がどうでようと、それはそれ、これはこれ。
本やお流派によって、いい結果が出たら、そりゃそうだろうと思いますし、悪い結果が出たら、それは違うと思う。 というぐらいに、自分の名前に全幅の信頼をおいています。
世間が言うことより自分自身に間違いないし、ゆるぎがない(笑)。
人は名とともに生きるといいますね。 名前がもつ働きってなんだと思いますか?
「わたくし」そのものをあらわしている、もっとも短い呪文ではないかと思います。
やはり、漢字の「康」という字は「健康でなきゃ」と意識させますよね。
それから児童の「児」という字を書く時には、「心が・・・老けてはいけない」。 肉体レベルは老けていくのは仕方ないけど、子どもの純粋さとか純朴さとか、ものを探求する「なんで?」とか、不思議さとかを意識させます。
大人になると、知らないことも知ったかぶりしたり、好奇心がどんどん失われてしまって、すばらしくいろんなもので満ち溢れている世界を、ありふれた世界と思ってしまったら、心寂しいなと。
今でも「なんで?」と、この年齢でも発見したりして、どきどきわくわくします。
この名前がある限り、ずっと愉しいし、それが止まるはずもないと思います。
ほんとに親が私につけた名前で、私を今のように生かしめている呪文、祈りの言葉だと思います。
山根さんご自身は「NRC自然療法研究所」という名前の名づけ親でもありますよね。
健康コンサルタントの仕事をして、そこをやめて自分で独立をするという時につけた名前です。
現代の医療に不信があるわけではないのですけど、子どもの頃から「自然」はすごいなという想いは常日ごろからありました。
そういうもので、癒されるのはいいなと。
独立を考えたその当時、いくつか組織名の候補はあったと思うのです。
でも結局、他の候補のことを思い出せないくらい、今、思えば他はない。
今10年以上たって、私が頑固にも押し通してきた結果、ハーブ療法、食事療法、タロットセラピー、アストロロジー、ソウルカードセラピー、茶道など、多分野にわたります。
なんでも、ひとくくりできる魔法の言葉という意味ではないけれど、いまだに「自然療法」という枠があるとすると、自分の中ではおさまっているなと思います。
そういう意味では、茶道も「自然療法」の文化版だと思っていますし、『古事記』など日本の心シリーズも心の薬(笑)。
「自然療法」という枠の中での「研究所」。 でも「何の研究所?」と聞かれませんか?
2012年春に、セミナー部門をセラピースクール「シーズ」として立ち上げました。
スクールで発表、つまり皆様にお伝えすることの基礎研究を当研究所が受け持ちます。
今までは、スクール部門と研究部門が同母体だったので、わかりづらかったかと思いますが、これからは、たとえば古いものに対する調査は母体である「NRC自然療法研究所」が行います。
それらの中から、まとめたものを発表、お伝えをしていきます。
少しは明確にはなっていくかなと思っています。
名前に命を吹き込むとそこからものごとは動き、歩み出す。
「やまねのねどこ」はいろんな名を蓄えていそうです。 つづく
・山根康児インタビュー記事 |